東大世界史入試問題 解体新書

            〜2002(平成14)年 2月実施(全3問題)〜
                                   
第2問

☆ 問題

 次に述べるX,Y,Zは,19世紀以降まで数世紀にわたり存続したアジアの大王朝である。

これらの王朝には,独自性と共通性がみられたが,それらに関し,以下の(1)〜(12)の設

問をよく読み,各設問に答えよ。解答は,解答欄(口)を用い,設問ごとに行を改め,冒頭に

(1)〜(12)の番号を付して記せ。



(A) 各王朝は,それぞれ本拠地を移動させながら,形成され発展した。

 問(1) Xの本拠地について,移動前と移動後の地点を地図中の記号から

  選び,ア→イのように記せ。

★ コメント

「後金の都が中国東北地方(旧『満州』の土地)に位置する瀋陽であったこと
 
を想起しよう。清朝の根拠地がここであったことこそが、軍国主義時代の日本

の国策である、溥儀を執政(後に皇帝)として傀儡にした満州国建国の歴史的

根拠となる」


 問(2) Yは,16世紀前半に前王朝をこの地の戦いで撃破し,自己の王朝

  を創始した。その戦いの地の位置を地図中の記号で示せ。

★ コメント

「地図上の位置は、『デリー近くで/パーニパットの戦い』という、2つの知識の

コンビネーションが決め手。よって常日頃の学習で、重要な都市や戦場が出て

きたら、地図上の位置を決定できるようにしておくことを心掛けたい」



 問(3) Zが崩壊した後に,Zの支配民族は共和国をつくった。Zの首都

  の位置と新たな共和国の首都の位置を,地図上の記号でア→イのよう

  に記せ。

★ コメント

「1922〜23年のトルコ革命で指導者ケマル=パシャが、あえて、オスマン朝の

負のモニュメンタルな(1402年ティムールに敗れる)戦跡のあるアンカラをトルコ

共和国の首都にしたことの意図を想起すべし」


(B) 各王朝は,被支配者の信仰や宗教や慣習について,時には融和策で,

 時には弾圧策で臨んだ。

 問(4) Xは,反抗する思想の統制と並行して,大叢書を編集した。その

  叢書の名前を記せ。

★ コメント

「『四庫全書』の『四つの書庫』とは、古典を経(儒教)・史(歴史)・子(思想)・

集(文学)の四つに分類した叢書という意味に由来」


 問(5) Yは,16〜17世紀の間に宗教政策を大きく変えた。その変化を,

  関係する二人の皇帝の名を用い,3行以内で説明せよ。

★ コメント

「ここでは『家康タイプ』の指導者アクバルが先で、『信長タイプ』アウラングゼーブが

後になっている点が面白い」


 問(6) Zには,異教徒処遇の制度があった。その通称を記し,特徴を,

  2行以内で説明せよ。

★ コメント

「オスマン朝による『異文化共生』の手立て。想起すべきなのは、元来イスラームは、

ユダヤ・キリスト教徒を『啓典の民』として尊重していたこと。『イスラーム=不寛容』

という一方的な誤解や偏見を打破する知識」


(C) 3王朝には,それぞれ少数民族が広大な領域を支配するという共通性
 
 があった。
 
 問(7) Xは,自已の軍事組織を支配地域に拡大した。それら軍事組織の
 
  構成員に対して与えられた土地の名称を記せ。

★ コメント

「ここでは日本史の知識が使える。すなわち『旗本』というネーミングと同じ発想」


 問(8) YとZには,それぞれジャーギール制,ティマール制と呼ばれる
 
  類似の制度がみられた。両者の共通の特徴を2行以内で記せ。

★ コメント

「これはイクター制を改良したものである、という知識があれば正答できるもの」


(D)各王朝には,支配に反抗する動きが見られた。
 
 問(9) Xの統治の初期に,大きな反乱が生じた。この反乱の名称の由来
 
  となった地域を,すべて地図中の記号から選んで記せ。

★ コメント

「三藩とは、雲南の藩王である呉三桂、福建の藩王である耿継茂(とその息子の

精忠)、広東の藩王である尚可喜(とその息子の之信)のこと。」


 問(10) Yの統治に対して,17世紀後半に強く抵抗した王国があった。そ
 
  の本拠地の位置を,地図中の記号で示せ。

★ コメント

「建国の背景が、アウラングゼーブ帝のヒンドゥー抑圧策に対抗したこと。この

マラータ王国は、18世紀には後継者争いや諸侯同士の対立を利用されて進出

してきたイギリスと3度のマラータ戦争を戦うことになる(1818年に決定的敗北)」


 問(11) Zの支配下では,18世紀に宗教的復古主義を唱える宗派が王国建
 
  設運動をおこした。その運動の中心地を,地図中の記号で示せ。

★ コメント

「地図中のネジド地方(アラビア半島中央部の高原地帯)が、ワッハーブ派の

本拠地。ヒントは今のサウジアラビアの首都リヤドが位置する場所。なぜなら、

建国を援助したのがサウード家で、イブン=サウードが初代国王。サウジアラ

ビアとは『サウード家のアラビア』の意味」


 問(12) これらの動きの対象となった3つの王朝名を,それぞれにX,Y,
 
  Zの記号を付して記せ。

★ コメント

「ここまで解答したらわかる(ていうか、わかっていないと解答できない!)」


☆ 解答例

(A) 問(1) イ→ウ 問(2) サ 問(3) ナ→ト

(B) 問(4) 四庫全書 

 問(5) 第3代アクバルはイスラム・ヒンドゥー両宗教の融和をめざし,ジズヤを廃止した

     が,第6代アウラングゼーブは厳格なスンナ派イスラム教徒としてジズヤを復活し,

     ヒンドゥー教徒を抑圧した。(88字)

 問(6) ミッレト:キリスト教徒やユダヤ教徒に対し宗教共同体を組織させ,その長に裁

     判権や徴税権などを委ねて,一定の自治を認めた。(59字)

(C) 問(7) 旗地

 問(8) 官吏や軍人に政府に対する一定の行政的・軍事的奉仕を義務づける代償に,

     俸給の代わりに一定の土地の徴税権などを与える制度。(59字)

(D) 問(9) カ・キ・ク 問(10) セ 問(11) 二

 問(12) X:清朝 Y:ムガル朝 Z:オスマン朝

☆ 出題分野・テーマ

 アジアの諸王朝(清朝・ムガル朝・オスマン朝)

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